発達障害だけどどうしてあんなに算数が嫌だったのか

発達障害

算数、数学とにもかくにも数字が大嫌いです。テストで100点とれたのは小学生のときの「10のかたまり、100のかたまり」みたいな単元だけです。あとずーっと一桁点とか赤点です。当然評価は「悪い」「1or2」。

しかし振り返ってみてもなんであんなに算数嫌いだったんだろう(現在もですが)と思い、小学生のときの気持ちを思い出して自分なりに分析してみようと思いました。

※この記事はあくまでシマ個人の場合に限った話であり、全ての発達障害が同じ症状ではありません。また、九九ができないなら必ず発達障害だという事もありません。

泣きわめきながら宿題をやっていた

私は小学生のころ算数の宿題ができず親に教えて貰うがやはり全然できなくて泣きわめいていました。
親は先生ではないので教えるのド下手クソだったのですがそれは一旦さておき、何も泣くことないのでは?と思いました。泣いていたとき、私は何が泣くほど嫌だったのだろう…と当時の気持ちを思い出してみました。

ひとつ思い出したのですが、あの「嫌だ!!」という気持ちはごく最近でも身に覚えがありました。

ブラック企業で働いていたときに「全貌が把握できず正解がわからない仕事をしていたとき」と似ていました。いわゆる「ここはどういう意味ですか?もしくはこういう認識であっていますでしょうか?」と上司に聞くと「それを考えて欲しいんだよね」「言わなくてもわかるでしょ」的な回答をされるところでした。
私は発達障害で具体的でない指示がものすごくストレスになるタイプです。正解がわからないと永遠にひとつのことにこだわり続けます。頭がパンクして泣き出すまで考え続けます。
時代が悪くそういう「死ぬまで考えろ!工夫しろ!出来ないと口にするな!」という社会でした。
根性論の時代と私の悪い性質が噛み合ってしまいどこに転職しても泣くまで考えていた。

あの感じに似ている。算数とブラック企業が。(そんなバカな)

算数のなにがわからなくて不安だったのか

算数なんて正解が必ずあるから逆にできるはずじゃん!!となりますが、何故私があるはずの正解に辿り着けずギャン泣きしていたのかよく考えてみたいと思います。

冒頭で申し上げましたとおり私「10のかたまり、100のかたまり」は完璧にできていたのです。なぜそこから転げ落ちたのか。

いつつ、むっつ、やっつ、ここのかがわからなかった

5つは「いつつ」、6つは「むっつ」、9日は「ここのか」と読むのがよくわかりませんでした。皆自然と覚えていくものかと思いますが私は全然ピンとこなかった。なんなら未だに「ここのかってきゅうにちだよね?」って近くにいる人に確認とります。

「理由はわからないがそう読むと決まっている」と普通の人は飲み込めるところですが私は今も「なんで?」と思ってます。

なので小学生低学年のときはまず5つ、6つ、8つ、9日が出ると自動的に間違えるというか無回答でした。

九九で完全に先に進めなくなる

算数と数学ができる子かできない子かの境目と言われる九九ですが、私の理解は完全にここで打ち止めとなります。

毎日九九を一段ずつ暗記してくるのが宿題となりますが、なんとかなったのが5段まで。
6の段は血の滲む思いでただ覚え、それでも6×4が「にじゅうし」なのか「にじゅうしち」なのかわからず。(今も電卓叩くまでわかりません)
7の段以降は壊滅です。何故か「くくはちじゅういち」だけ覚えました。

こんな調子なので「九九くらい言えるようにしなくては」という親として当然の焦りのもと毎日スパルタで教えられ、覚えられなくて泣きわめくコースでした。
どれだけ怒られても結局翌日の宿題の発表で惨敗、先生に問題視されてしょっちゅう居残りさせられていました(また泣いてた)。

はてさてなんでこんなに九九が覚えられないのかというと恐らく「理由はわからないがそう読むと決まっている」の塊だからだと思います。6つとか8つとかのもっと難しくもっと量が多いやつです。当然わからない。

7×4だって「しちしにじゅうはち」はわからないけど、ゆっくり時間をかけて「7つの玉を4グループ描くと全部で28玉になる」はできるわけです。
九九とはその計算を簡単に覚えるものなんだからそれができたって九九ができることにはならない訳ではありますが。

「わけがわからないものを一日でいっぱい完璧に覚えてこい。一度でも間違えたら先生が宿題ができてない事を怒るぞ!!」という恐怖で毎日いっぱいだったのを思い出しました。(ちょっとタンマ涙出る)

恐ろしいことにこのとき覚えた九九、今はほとんど忘れました。(あんなに苦労したのに)
ですが今はスマホで電卓あるし、仕事をしていたときはミニ電卓を複数所持して使う場所に配置して、それで何の問題もなく過ごしていました。
困るのは「九九ができない人間だ」とバレたときになぜか人格や品性まで疑われることですがもう知らんそんなの。勝手に見下げてくれと思ってます。

以降、割り算、帯分数、因数分解に至るまで全てが全く理解できない

小学校~高校まで、電卓使っていいよなんて授業はありませんので以降の算数と数学は全て壊滅します。それこそ数学という科目名になってからはテストはいつも一桁点です。
学校というくくりにおいてはやはり九九ができないとそれ以降の数学は難しいです。
中学に上がるころにはもう勉強ができないとか以前に他にも問題がありすぎて不登校です。

どうしたらよかったのか

私は結局いつでも「問題が難しくて解けない」ではなく「そうきまっているらしいが自分には理解できないものへの恐怖」で不安になって泣いていたんだなと思いました。できなければ罰が待っています。そら怖いわ。

じゃあどうしたらよかったのでしょうか。発達障害でもわかるように九九を教えるにはどうしたらいいのか。
私は答えは「無理」だと思います。

九九自体は因果のはっきりした掛け算です。それを瞬時にできるようにするのが九九という「意味のわからない日本語」です。(意味はあるが瞬時の結び付けが難しい)
この時点でこれ以上分解しようがありません。
私と同じタイプの人間は「ゆっくりノートにぽっちを書いて数える or 電卓」しか無いのです。
一人の先生が大人数の生徒を一気に教える授業ではこれをフォローする術はないです。(居残りさせて一対一も疲弊するだけ)

ただ怒らないで欲しい

あのときの私は他者になんて言って欲しいだろうと考えました。
希望としては「先生も親も怒らないでほしい」それだけでした。

しかし待ち構えているのはとても長く厳しい学校生活です。それは覚悟させなくてはいけません。
付け加えるならこうかもしれません。
「なるべく頑張って覚えなさい。でも泣くほど頑張っても覚えられないなら覚えなくていい。いつか大人になったら電卓が使える。だがそれまでずっとずっと計算ができなくて苦労するだろう。覚悟はいいか。なくてもいいや、毎日息吸って吐こうぜ」

ふぅ……雨が降ってきたな。梅雨だから本当に降ってるけど。

※この記事はあくまでシマ個人の場合に限った話であり、全ての発達障害が同じ症状ではありません。また、九九ができないなら必ず発達障害だという事もありません。

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